「探しものが見つかったら、お前はどうするんだ?」

名探偵の問いに何も返さず、ただ月を眺めた。

『パンドラ』が見つかったら。それはずっと考えてきたこと。
見つかるかどうかもわからない。存在すらしないかもしれない。

それでも、親父の命を奪った原因でもあるあの石を、存在するのならば消し去りたい。くだらない幻想に取り憑かれている奴らも。

そんな俺でも、名探偵は受け入れてくれるだろうか。『パンドラ』を壊して、復讐の為に犯罪を犯している俺に、名探偵は幻滅するだろうか。

「名探偵は…」

…俺の戦いが終わったら、もう、俺には興味持ってくれない?

言いかけた言葉を切って、口を噤んだ。

「キッド?」
「なんでも、ありません」

少し笑って誤魔化して、それでも名探偵は納得していなかったようだけど。


全てが終わっても、名探偵の傍にいたい。
それは、叶わない夢なのだろうか……。


















「空の下で」


















黒羽は大学にも来ていないようだった。
当たり前といえば、当たり前だ。もう会わないと言ったのだから。
それでも、大学に足を運んでは黒羽の姿を探していた。ひょっとしたら、今日は来ているかもしれない。
そんな願いを抱きながら。


「工藤君、貴方酷い顔してるわよ?」
「え?」

警察からの要請も断り、大学に行く以外は家に引きこもる俺の様子を見に隣人である灰原が来ていた。

「あまり寝ていないでしょう?全く、最近体調も崩していないようだったのに…何かあったの?」
「……」

話そうか、と少し迷った。
黒羽の事、キッドの事…。

「…別に、何にもないぜ?」

もし、話せば黒羽がキッドだということも言わなければならなくなる。それだけは避けたかった。
少しだけ笑って誤魔化すが、灰原は納得していないような顔をした。

「そう。でも、無理が過ぎるようなら薬でも盛って無理やりにでも眠らせるわよ?」

ぎょっとして顔を見ると、笑いもせずに冗談よ。と言った。

や、でも… 冗談。じゃないだろうな…。
心配してくれているのだと分かっている。でも、俺はまだ諦めるわけにはいかないから。

「さんきゅ」

そう言って笑うと、灰原は呆れたように溜息を吐いた。

「そういえば……」
「ん?」

手に持っていたカップを置いて、灰原は何かを思い出したかのようにカレンダーの方に目をやった。

「いつだったかしら…工藤君によく似た人を見かけたのよ」
「え…」

それは、まさか黒羽だろうか…?いや、違うかもしれない。

「ど、どこで…?」
「江古田の方よ?大きな時計台をじっと見てるから工藤君かと思ったけど、雰囲気が少し違ったから」
「江古田…?」

いつだったか、江古田にある時計台を盗むと言っていたヤツがいた。そして、黒羽も江古田に住んでいる。
あの時は興味がなかったが…まさか、あれは…。

「まさか、あいつ…」
「工藤君?」

訝しげな声にはっと目が覚めた。

「あ、灰原…」
「……どうやら、私はお邪魔なようね?じゃあ私は帰るけど…ちゃんとご飯、食べるのよ?」
「あ、あぁ…わかってる」

玄関まで灰原を送って、扉が閉まったのを確認すると素早く自室に戻った。


多分、灰原が見たのは黒羽に違いない。そしていつだったか時計台を盗むと言ってた怪盗も…。
だとしたらアイツがあの辺りに住んでいることは間違いないだろう。

ベットに無造作に置いてある上着を拾って、PCの電源を落とした。

今さら行ってもいないかもしれない。

でも、きっとアイツはあそこにいる。

根拠のない確信を持ちながら俺はある場所へ急いだ。



――…俺達が初めて出会ったあの場所へ…











***










我ながら、未練がましいと思う。




新一に別れを告げたその次の日に、俺がいたのはあの時計台。

青子を悲しませたくはなかった。
ただそれだけの理由だった。

そしてそれは成功して、今でもこの時計台はここにある。
でも、俺にとってこの時計台はそれだけのものではない。

「新一を…新一の存在を初めて知った場所…なんだよな」

『名探偵・工藤新一』
知らなかったわけではない。興味がなかったのだ。
自分と同じ年で、カメラ目線で決めている探偵。殺人ばかりを扱っているようだから自分には関係ない…と。

でもその考えはあの日から変わった。

『――…光の魔人、白き罪びとを滅ぼさん』

あの時告げられた占いは当たっていたのだ。
俺はあの時から既に、捕らわれている。名探偵…工藤新一に。

姿を見せないのに、確実に自分を追い詰める手腕。
現場にいるわけでもないのに、狡猾にすべてを見透かす慧眼。
ヘリから細いロープを銃で撃ちぬいた時は本当に人間か、と疑ったぐらいだ。

それでも、楽しかった。
ここまで追い詰める相手の事を知りたくなった。


そして再び再会したのは別の場所…。


見上げていた時計台から目を逸らして、俺は別の場所へ足を向けた。

ほぼ無意識に足が動く。
気付いたら新一と対面した場所…杯戸シティホテルの屋上まで来ていた。

冷たい風が容赦なく吹きつける屋上で、今度はじっと空を見上げた。

今は昼間だから月は見えないが、目を閉じれば簡単にあの時の風景が思い出される。


工藤新一を俺の舞台に引きずり出したくて、送りつけた予告状。
でも、その舞台に彼の姿はなかった。代わりに現れたのは小学生。

「あの時はショックだったなー」

その時を思い出して苦笑した。

小学生にあの暗号が解かれたのかと思ったから。まぁ、後日正体を知って心底ホッとしたのだが。

警官の姿に紛れてこっそりと見た名探偵は悔しそうな顔をしていた。

クイーンエリザベス号の中でもそうだ。からかってやるとすぐに真っ赤になって感情がストレートに顔に出ていた。
からかい甲斐のある反応が面白くてついちょっかいを出していた。
目を離すとすぐに無茶なことをしでかす彼にヒヤヒヤしたのも数えきれないけど。

楽しかった。
キッドの姿で世間を騒がせる事も楽しかったが、それなんかよりずっと、彼との対決が楽しくて仕方がなかった。


そして、小さい体から新一の姿に戻ってからも俺達は何度も対峙した。
現場ではお互いに手を抜くことなく真剣に。現場から離れた場所では他愛のない話を。
その一瞬一瞬を今でも覚えている。忘れるわけがない。

思わぬ偶然だったけど、「黒羽快斗」として出会ってからの事も。
短い間だったけど、幸せだった。楽しかった。
でも、それと同時に自分が犯罪者だということが嫌でも頭を過っていた。


「会いたい…」


でも、これで本当に会えなくなった。
姿を見ることもできない。











***










ガラにもなく、感傷に浸ってた所為かもしれない。
それでも、元怪盗である自分にとってそれは失態だ。


彼の気配に気づいた時にはもう手遅れだった。



「黒羽…!」

バタンッと音を立てて扉が開いた。

「ッ……!?」

慌てて振りかえると肩で息をして苦しそうな新一が立っていた。

「なん、で…」
「ホント…なんで、気づかなかったんだろう、な」

乱れた呼吸を整えながらも新一は言葉を紡いだ。

「お前が行きそうなところ、初めから当たればよかった…」

やっぱ俺も頭回ってなかったんだな。
と苦笑して、キッと俺を睨みつけた。

あぁ、やっぱり綺麗だ。
青い瞳がキラキラとしていて、どの宝石よりもずっと輝いてる。

「なんで、俺を追ってきたの?工藤」

心臓の音がうるさい。新一が目の前にいるというだけで体が勝手に動きそうになる。
細い体をこの腕に閉じ込めて、何もかもを奪ってしまいたい。

すっと手を伸ばして新一の頬に触れた。
新一の体がビクッと震える。

「俺は騙してたんだよ?工藤を」

断罪しにきたのか。犯罪者の俺を。
あぁ、それでも裁かれるのなら名探偵にだと思っていた。捕まるのも。名探偵になら構わない。

「そんなもん、どーでもいいんだよ」

パンッと手を叩き落としてグッと胸倉を掴まれた。

「何も言わずにいなくなるなッ!俺が…どんなにお前を待っていたか、ちょっとは考えろよッ!」

苦しそうな叫び声に気圧された。

「お前が犯罪者だったなんて、どうでもいい。それを探偵の俺に隠すのは当たり前だろ?それよりも、もう…二度と俺の前に姿を見せないなんて、さよならなんて、言うなよッ!」

これは、夢なのだろうか。
所詮は相容れぬ存在なのだと、諦めていた俺の心のどこかで残っていた希望が見せた夢。

それでも、頬を撫でる風が。目の前でキラキラと輝く瞳が。
夢ではないのだと告げていた。

「く、どう…」

新一の細い体をぎゅっと抱きしめた。

「ごめん…。黙っていて。嘘を吐いて。それに、いなくなって…ごめん。もう、勝手に『さよなら』なんて言わないから」

強張っていた体が少しずつ解けていくのがわかった。
本当は、もっと言わなければいけないことは沢山あるのかもしれない。

でも、今はこれだけは言っておかなければいけないと思った。

「好き…好きだよ、新一…」
「え…?」

自分勝手だと思う。自分から別れを告げておいて、新一に好きな人がいるということも分かっていて言うのだから。

「応えが、欲しい」

たとえ、その応えが「否」だとしても…。

「お、れも…好き、かもしれない」

………………え?

予測していた応えとは違った事に体が硬直した。
はっと我に返ると慌てて新一の顔を覗き込んだ。

真っ赤な顔。視線を合わせないように俯いている。

「新一…今、なんて…」

聞き間違えたのか?いや、でもそんな、まさか…

「俺もっ!黒羽の事が、好き…かもって…」

語尾が小さくなっていっていくが、聞き間違いではなかった。

「でも、新一には好きな人が…」
「は?」
「だって、この間飲んだ時に話すのが上手い、『好きな人』がいるって…」

だから、あの時俺は失恋したのだ。
そう簡単に忘れるつもりは全くなかったが。

「俺、そんな事言ったのか?」
「言った」
「ふぅん…」

顎の下に手を置いて、少し首を傾げた。

「それって…」

伏せていた目が俺を捉えた。

「お前の事じゃないのか?」
「え?」











****










驚いたように目を瞠った黒羽の顔を見て、顔が赤くなるのを感じた。

「や、だって…お前、キッドだし…」

…自分で言っておいて意味がわからない。

ちらっと黒羽の顔をみると、「意味がわかりません」。と書いてあった。そりゃそうだ。

「…っ…て…俺…」

お前の事ばかり考えていた。

あの日、キッドが姿を消してから…ずっと。
それがどういう気持ちなのか分からなかった。でも…今なら分かる。

「新一…?」

自分の顔が今真っ赤になっている。と思う。
そんな顔を見られたくなくて慌てて顔を背けるが、それよりも先に顎を掴まれた。

「っ…」
「ね…?どういう意味か、教えて?」

うるさい。 触るな。顔近づけるな。
言いたい事はたくさんあるはずなのに、どれも言葉にはならなかった。

「…キッドが…お前がいなくなってから、ずっと…お前の事しか考えてなかった…から…」

あぁ、もう…恥ずかしい。
逃げ出したい気持ちで必死に黒羽と目を合わせないようにした。

「…………」

だって、あんな風に突然いなくなったら誰だって心配するだろ?
月が出てると無意識に空にお前がいないか探して、宝石を見ると月に翳していたお前の姿が浮かんだ。

何も言わない黒羽が気になって、ちらりと視線を戻すと黒羽の顔も俺に負けないくらい真っ赤だ。

「く、ろば…?」
「快斗」
「え?」
「快斗って呼んで?新一」

少し戸惑って「快斗」と呼べば、とても嬉しそうに笑った。

「ね、新一」

今さらながら、名前で呼ばれている事に気づいて嬉しかった。

「んだよ…」
「俺の事、好き?」
「ぅ…あ……う、ん」

顔が…近い。少し離してくれない…かな。

そっと身を引くとぐいっと引き寄せられた。

「わっ」
「俺も、好きだよ。新一」

吐息が顔を撫でた。と思った瞬間、唇を塞がれていた。

「んっ…」

触れるだけのキス。
でも、呼吸を忘れた俺には苦しくて酸素を求めて口を開けた。その僅かに開いた口から何かが入ってきた。

「んぐ…」

驚いて目を開けるとくっつきそうな距離に快斗の顔があった。男のクセに無駄に長い睫毛。伏せていた快斗の目がゆっくりと開いて俺を捉えた。俺を映し出している瞳が優しい色をしている。
快斗に見られている事が妙に恥ずかしく感じてギュッと目を閉じた。
でも、それは失敗だったかもしれない。
五感の1つを失った体は必要以上に快斗の存在を感じていた。

「ふ…ぁ…」

苦しくて、心地よくて、頭が真っ白になりそうだ。

長かったような短かったような時間が経ち、解放された時にはもう立てなくなっていた。
快斗に体を預けて、小さくため息を吐いた。

「お、前…やりすぎ…」
「あはは、ごめんね?ちょっと歯止めが効かなくて…」

ずっと、新一だけが欲しかったから。

そう囁かれて、頭がクラクラとする。
こんな風に言われて、落ちない奴なんているのだろうか。

「…帰るぞ」
「うん」

まだ力の入らない足で無理やり立つと、快斗が支えてくれた。

「…確かに、肩は貸して欲しいけど…腰を持つ必要はあるのか?」
「えーいいじゃん」

むしろお姫様抱っこしたい。
と真顔で言われて勢いよく首を横に振った。それだけは勘弁してくれ。

「新一軽いから出来そうだけどなぁ…」
「………」

こっそり、もう少し筋肉付けよう…と心に決めたことに気づきもせずに、快斗はただ嬉しそうにニコニコと笑っていた。
それに釣られて俺も笑みを返して、幸せな気分になった。

「やっと、捕まえた」
「うん。捕まえられちゃったね」

二人で顔を見合せて、また笑った。






遠くからでいいから見ていたかった。「好き」だと伝えたかった。新一の心が欲しかった。

姿を見せて欲しかった。無事だと、伝えて欲しかった。「さよなら」なんて、言わないで欲しかった。



「なぁ、快斗」
「ん?」
「俺、月の下でお前を話すの、好きだったんだぜ」
「俺も。でもさ…月が昇っている時だけじゃなくて、太陽が隠れてる雨の日も、曇りの日も、もちろん青い空の下でも、ずっと新一と話していたい」
「…そうだな」




気がついたら新一は傍にいて、「好き」だと言ってくれた。

気がついたら快斗は傍にいて、「『さよなら』なんて言わない」と言ってくれた。







爛々と輝く月の下で、光溢れる青空の下で、君と一緒にいられる事が何よりの幸福なんだ。














end