「名探偵は何か欲しいものありますか?」

穏やかな顔で月を眺める横顔はどこか別のところを見ているようだった。

「なんだよ。急に」
「いえ、特に理由はないんですが…」
「変なやつ………っていつものことか」
「酷いですね」
「本当のことだろ。欲しいものか……そうだなー…お前がくれる暗号があれば、今は特にないかな」
「お気に召してもらえて光栄ですよ」

くすくすと楽しそうに笑う怪盗。
つられて自然に笑みが広がる。

「なぁ、お前はないのか?欲しいもの」
「私ですか?」
「他に誰がいる。全部盗めるからない…とか?」
「いえ、ありますよ。欲しいものは」
「なら教えろよ」

むっと睨みつけると怪盗はにっこりと艶やかな笑みを浮かべた。

「秘密です」
「へ?」
「言ってしまったら、手に入らなくなるかもしれないでしょう?」
「なんだよそれ……」




結局はぐらかされてしまったけど…。

あいつの欲しいものって、なんだったんだろう……………?
























「空の下で」





















「黒羽君!」

肩を掴まれ、聞き覚えのある名前を口にした声に新一は足を止めた。


警視庁へ大学生が何の疑問も抱かれずに自由に出入りしているのは変なことかもしれない。しかし、それが工藤新一なら話は違う。高校生探偵として活躍していたという経歴だけではなく、彼を纏うオーラが違うのだ。

そう言っていたのは確か二課の刑事だった。


二課にも同じく以前は高校生探偵として二課に出入りして、警視総監の息子だという大学生の探偵がいる。

倫敦に留学していたが、怪盗1412を追うためにわざわざ日本に来たらしい。
しかし、その目的も今では果たすことができない。なぜなら、怪盗1412、怪盗キッドは世間から姿を消してしまったのだから。

「えっと…白馬探偵…でしたよね?」

スーツ姿の見覚えのある男が立っていた。今日は鷹を連れていないようだ。

「えっ?工藤君?あ、すいません。人間違えをしたようです…」
「そのようですね」

新一の顔を見て驚いたように目を瞠り、ついで慌てて頭を下げる白馬に笑顔を向けた。

「黒羽…というのは?」
「僕の高校生の時のクラスメイトです。とてもよく似ていたので…」
「白馬探偵は…確か江古田でしたよね?」
「えぇ」
「ひょっとして黒羽快斗のことですか?」
「え?ご存じなんですか?」
「まぁ…彼は僕の大学では有名ですから」

新一の通う東都大で黒羽快斗の名前を知らない者はいないだろう。新一の大学だけではなく、彼の名前はすでに至る所で広まっている。

「そうなんですか…」
「ところで、白馬探偵は今日は何故ここへ?確かロンドンに住んでいるとお聞きしたのですが」
「あぁ、怪盗キッドが現れると耳に入ったもので…結局偽者でしたが」
「あぁ…」

そういえば、白馬は怪盗キッド専任の探偵だと言っていた。彼が姿を消してもなお、彼を探し続けているとか…。


「白馬探偵はあの現場に?」
「えぇ。一応念のために。残念ながら、本物の彼とは手口が比べ物にならないほどの腕でしたが…」
「そう…だったんですか……」

いつだったか、二課の探偵はキッドに執着しすぎるところがあると聞いたことがある。
……あながち間違いではないかもしれない。
犯罪者としてキッドを見ているのではないのかもしれない…。むしろ……

「キッドといえば…くろ…」
「工藤君!!」
「高木刑事?」
「あ、ごめん。お話中だったかな?」

白馬が何か言いかけたが高木刑事の声に遮られた。

「いえ。また今度お話しましょう工藤君」
「えぇ」

にっこりと笑って去っていく白馬を見送って、高木刑事を見ると申し訳なさそうな顔をしていた。

「悪いことしちゃったね」
「いえ、それより、どうかしたんですか?」
「あぁ、そうだった。目暮警部が呼んでるよ」
「警部が?」
「なんでも連続通り魔の話だとか」
「あぁ…」

これがその資料ね。と渡された紙を見ると被害者の名前、被害にあった場所、凶器などが書かれていた。

「すぐに行きます」

ごめんね?と苦笑する高木刑事ににっこりと笑みを向けると一課へ向かった。







「おぉ!工藤君。いつもすまないね」
「いえ、それより通り魔でしたよね?」
「あぁ。資料はもう高木から…」
「はい。貰いました」

最近東都で起こる連続通り魔事件。今までで5人の被害者を出しているが、いずれも軽傷で死亡者はなし。凶器は主にナイフだが、バットのようなものを使った犯行も二回ほどある。
犯行場所には特に共通したものはないが、いずれの犯人も黒い帽子をかぶり、黒い服を着ている。特徴的なものといえば、青いペンダントをしているということぐらいだ。
被害者にも同じく共通点はない。一時は女性ばかりが狙われていると思われたが、4回目の犯行で男性を狙ったことから無差別に被害者を選んでいることがわかった。

この事件は新一も以前から知ってはいたが、目暮が関わらせなかったのだ。しかし、流石に6人目の被害者を出してしまったら拙い。そこで新一の力を借りることにしたのだろう。

「何かわかるかね?」
「いえ、まだ……この青いペンダントは被害者全員が見ているのですか?」
「あぁ。とても目立つものだったから被害者全員が覚えていたよ。まぁ、それのおかげで他の特徴まで覚えてはいなかったようだが…」

このペンダントはわざと被害者に自分の特徴をペンダントだけに集中させるために付けているのか?

「そのペンダントの出所も調べてはみたのだが、大量に生産されたものだったよ」
「そうですか…一応どういうものか見せてもらえますか?」
「おぉ。そうだな。高木」
「はい」

ガサガサと高木刑事が資料を漁って一枚の紙を取り出した。

「はい、工藤君。これがそのペンダントの絵」
「ありがとうございます」

十字架のような形をして、真ん中に大きな青い石がはめ込まれている。十字架の周りには蔦のようなものが巻きついているように見える。

「これが…」
「大手の雑貨屋ならどこにでも売っているそうだよ」

特に手がかりになりそうなものもない…か。

「特にこのペンダントからは何も見つかりませんね……犯行時刻は深夜…大体12時ですか」
「犯行場所もバラバラですね。あるといったら人気のない場所ってことぐらいでしょうか?」
「ふぅ…工藤君。今日はこれぐらいにして今日はもう帰りなさい。あんまり遅くなると危ない」
「あ、僕が送って行こうか?」
「いえ、大丈夫ですよ。では、目暮警部、何か分かりましたらまたご連絡します」
「あぁ。いつもすまんね」
「本当に送っていかなくて大丈夫?」
「高木刑事もお忙しいでしょう。まだ電車もありますし、大丈夫ですよ」

にっこりと笑ってその場を離れた。
高木刑事はまだ気にしていたが、なんとなく歩いて帰りたい気分だったし。特に気にする必要もないのに……。


警視庁を出ると頭の上で月が爛々と輝いていた。










*****









「ったく、飲めねぇならあんなに飲むなよなー…」

一応20歳は過ぎているのでお酒を飲むことに抵抗を感じる必要はない。ただ、人間だれしも酒に強い弱いはあるだろうに…。友人の一人が無茶な飲み方をして泥酔してしまったのだ。介抱する義理はないので厄介事に巻き込まれないうちにさっさと帰ろうと思ったが、ちょっとの隙を突いて絡まれてしまったのだ。
それから先は面倒なことばかりで思い出したくもない。一応人好きする仮面を被っているからか、酒を飲むと妙に絡んでくる奴は一人や二人ではない。はっきり言って迷惑だ。

「あーもう。さっさと帰ろ」

人気のない夜道を駅に向かって早足で歩く。
月の光と僅かにある街頭の光だけが照らす夜道は少し不気味だが、怪盗キッドが夜道が怖いなんて格好悪い。

「でもさ、流石に知らねぇ男に後ろを付きまとわれるのは気持ちいいもんじゃねぇよな」

くるりと後ろを振り返ると黒い服を着た男が隠れようともせずに立っていた。首には十字架のような形をしたペンダントを下げている。

「アンタ、俺に何か用?」
「…………………………」
「あれ?聞こえてねぇの?俺今いらついてんだよ用があんならさっさとしてくんねぇ?」
「……ろす…」
「何か言った?」
「殺す!」

そういうと同時にポケットからナイフらしきものを取り出して快斗をギッと睨みつけた。

「あぁ、ひょっとして最近出没するっていう通り魔さん?運悪いなぁ…」
「そう思うならさっさと殺られろ!」
「残念。運が悪いのはアンタの方ね」

にやりと笑ってこっそりトランプ銃を背中に隠す。キッドをやめてからもこいつには世話になっていたりするのだ。
今にも襲いかかってきそうな男を鼻で笑って挑発すると、どこからか人の声が聞こえた。

「誰かいるのか?」

人気のないこの場所に聞き覚えのある声。
おそらく、快斗と男の騒ぎを聞きつけてやってきたのだろう。しかし、この声はまさか……。

草木の間から音をたてて姿を現したのは工藤新一だった。
向き合う快斗と男に一瞬眉を顰めたが、男の持つナイフを見て表情が変わった。

「何をしている?」
「工藤…新一?」

俺が口を開こうとする前に男が先に目を瞠って小さく名前を呟いた。

「何をしているのかと聞いているんだ。お前は…黒羽だな?」

険しい表情のまま俺の方をちらりと見た。
なぜ俺の名前を知っているのか、と聞きたかったが、それどころじゃない。

「逃げろ!」

男の目の色が変わったのを見て、俺は反射的に叫んだ。

男の持っていたナイフが間髪入れずに快斗に向かって飛んできた。
それをすばやくよけると隠していたトランプ銃をポケットに押し込み、代わりに手品の仕掛けに使っている煙幕を地面に叩きつけた。
辺りが煙に覆われた隙をついて男が投げたナイフを拾う。薄らいできた煙の中を男に気づかれないように移動して新一の前まで一気に走り抜けた。

「くそっ」

悪態を吐く男の視界が漸く広がった時には既に快斗の手には男のナイフが握られていて、その後ろには工藤新一。

「お前っ」
「アンタの狙いはこいつ…だろ?」

新一の声を遮って目の前の男を睨みつけた。
俺を射殺さんとばかりに睨みつけていた男の目が新一を映し出したとき、男は急に笑い出した。

「はは!よくわかったな!!そうだ。俺は彼の為に、工藤新一のために人を刺してきたんだ!」
「っ!?」
「事件を起こせば彼に近づける。そう思っていた…なのに!馬鹿な警察は俺と彼の邪魔をしたんだ!だから俺は彼が出てくるまで人を殺し続けるつもりだった。そして、俺は彼を手に入れるんだ!!」

背後で新一が呆然としているのに気付いて内心で舌打ちをした。
彼に聞かせる話ではなかった。
自分の愚かしさと目の前で笑い続ける男に殺意が沸く。手にしたナイフをぎゅっと握りしめた。

「彼を手に入れればそれでいいが、彼に近づく者はすべて消す。残念だったな。お前には死んでもらう!」

ギラギラとした目が愉しそうに歪んだ。

「お前が工藤を手に入れる?」

んなことさせるわけがない。何よりも、こんな形で新一を手に入れようとした、新一を悲しませた、この男を許せるわけがない。


――…新一を傷つけるもの何があっても許さない。


クッと口元が歪む。
怪盗キッドは人を傷つけない。でも、どうやら黒羽快斗は違うようだ。

どこに隠し持っていたのか、黒光りする銃を構える男を一瞥して背後にいる新一の様子をちらりと窺った。
自分の所為で人が傷ついたのがショックだったらしい。当たり前か。新一は優しいから……。

酷薄な笑みを浮かべて手にしていたナイフを男に向かって投げた。

空を切ったナイフはそのまま男の持つ銃を弾き飛ばし、木に突き刺さった。

「黒羽!?」

驚いた新一の声が耳に入る。その静止を無視して手を押さえる男の胸倉を掴み、顔面を思いっきり殴りつけた。

「っぅ…」
「誰が誰のものだって?ふざけたこと言ってんじゃねぇよ」
「黒羽」
「あぁ、初めましてだな、工藤。俺の名前知ってんだ?」
「へ?あ、あぁ…って、もうそれぐらいにしとけよ。もう、警察呼んだから…」
「……工藤がそういうなら…仕方ねぇな」

地面の上で蹲る男を見下ろして侮蔑の視線を投げかけた。

――…本当は、これぐらいで済ますつもりはなかったけど…

まぁ、今は新一がいるから。報復ならあとででもいい。


そっと、小さな声で、男にしか聞こえない声で呟いた。

「もし、今後新一に近づいたら…その時はわかってんだろうな?」


次はない。


それだけを伝えると、大人しくなった男を拘束して新一に視線を合わせた。

「ちゃんと自己紹介してなかったな。俺は黒羽快斗。って知ってるみたいだけど」
「俺は工藤新一。そっちも俺のことは知ってんのか?」
「そりゃ工藤は有名だからね」

にっこり笑うと何故だか新一は少し不機嫌そうな顔をした。

「…この男に恨みでもあったのか?」
「なんで?」
「いや…なんとなく…」
「恨みはないけど、命を狙われれば抵抗するだろ?普通」
「普通…ね」
「ん?」
「いや、なんでもない…っと、来たかな」

遠くからサイレンの音と赤い光が見えてきた。
少しだけ体が強張る。仕方がないよな、これでも一応怪盗だったんだから。

「…帰るか?」
「へ?」
「これから警察の取り調べだし、帰りが遅くなるぞ?取り調べなら俺だけでいいだろう」
「工藤だって、疲れてるんじゃねぇの?」
「俺は慣れてるからいい」
「そういう問題でもないでしょうが」
「もし、帰るなら今のうちだ。お前が帰るなら俺はお前のことは黙ってるし…」
「コイツと工藤を二人っきりにした方が危ないと思うけど?」
「うっ…」
「ってことで俺も一緒に行くよ」
「……………………」

気づけば赤い光はすぐ近くまで来ていて、少し離れたところから人の声がした。

「…………さんきゅな。助けてくれて」
「…俺は自分を守っただけだよ」

綺麗な笑みを浮かべた新一に、見惚れて慌ててポーカーフェイスで隠した。








――…本当はこんな出会い方はしたくなかったな…………








近づいてしまった。
本当はずっと隠し続けると誓ったのに、簡単に揺らいでしまう。

本当は、足元で蹲る男よりも、きっと誰よりも、俺が一番危険なんだ。





動き出した歯車はもう、止めることはできない。