「よぉ。キッド」
今にも崩れそうなフェンスに体を預けて、月を眺めていた。
「危ないですよ?」
「大丈夫だって」
見た目より丈夫だ。きっと。
そう言うとキッドは目を細めて、俺の体を包み込んだ。
「ちょ…何すんだよ!」
騒ぐ俺に構うことなく、クルリと体を反転させて、その場に座り込んだ。
「こうすれば、問題ないでしょう?」
そういうキッドの視線の先には爛々と輝く満月。
「まぁ…な」
この大勢はあれだけど…。
でも、暖かいし、月も見れるし、問題ないのかな…。
そう思いながら、二人で月を見上げた。
「…もう少しだ」
「えぇ」
もう少しで、全てが終わる。
平穏な日々が戻ってくる。
「…その時は……」
「え?」
言いかけた言葉を切ると、キッドは不思議そうに顔を覗き込んできた。
「いや、なんでもない」
そう言って首を振り、また月を眺めた。
――…その時は、またこうして二人で月が眺められたらいいのにな…
「空の下で」
「ん…」
新一がぼんやりと目を開けると自分の部屋の天井があった。
「……あれ?」
そういえば、昨日の晩は確か黒羽が遊びに来ていて、親父のワインを一緒に飲んで…その後またビールて酒盛りしたんだった。
…なら、黒羽は?
そう思いいたって起き上がり、ぐるりを周りを見渡した。
「…黒羽?」
いない。
客間を使ったのだろうか?
よいしょっと起き上がると同時にコンコンとドアをノックする音が聞こえた。
「工藤ー。朝ご飯作ったけど、食べれる?」
黒羽の声だ。
開けるよー。と言ってガチャリとドアを開けた。
「おはよう。大丈夫?二日酔い」
「はよ…。んー…大丈夫みたい?」
…あれ?
「そういえば、俺いつ潰れた?」
「へ?」
「俺、黒羽とビール飲み始めて…一缶空けたあたりから記憶ねぇ…」
「そ、うなの?」
ちょっとビックリしたような黒羽の顔。
「俺、なんかした?」
酔いつぶれて記憶がなくなるなんてこと今までになかったから、正直怖い。
「いや…別になにもなかったけど……結構普通に話してたから、素面だと思ってた」
「そうなのか?」
「まぁ、いきなり寝ちゃったんだけどね」
酔って寝る工藤なんてそう見れるもんじゃなかったかもな。
そう言って黒羽は楽し気に笑った。
「む…」
ちょっと悔しい。
そんな考えを見透かしたかの様に黒羽は苦笑した。
「まぁまぁ。朝ごはんに消化のよさそうなの作ったからさ、一緒に食べよう?」
「ん…なんかわりぃな…」
「いいって。泊まらせてくれたお礼v」
「でも、俺先寝ちゃったし…」
「それじゃあさ、今度は工藤が飯作ってよ。工藤の料理食いたい」
「わかった。んじゃまた家来いよ」
「うん」
本当に嬉しそうに笑う黒羽につられて俺も思わず笑みが零れた。
****
朝ごはんを一緒に食べて、一緒に新一の家を出て、一緒に大学へ向かった。
出る講義は違うが、2人とも一限目から授業があるからだ。
「黒羽が酔ったところも見てみたい」
「んじゃまた飲む?」
「…そうしたら、また俺が先に潰れそうなんだよなぁ…」
ブツブツと呟きながら新一は俺の隣を歩いていた。
新一に昨夜の記憶がない。
それでも、俺は覚えている。
新一に好きな人がいる。それはあの幼馴染の彼女じゃない誰かで、新一にとってとても大切な人。
今朝新一は俺がどこで寝たのか、と気にしていたが、実は寝ていない。
眠れなかったのだ。
新一が誰を想っているのか、そればかりが気になっていて新一をベットまで運んだあとずっと一人で考えていた。
多分、俺がどれだけ新一を想っても届かない。新一に伝えたとしても、新一が困るだけだ。
――…そもそも、犯罪者の俺がこうして新一の隣にいること自体がおかしいんじゃないのか?
前…新一と「黒羽快斗」として出会った時にいた男のことを思い出す。
自分自身の欲望のためだけに人を傷付け、新一を傷つけた。
アイツと変わらないんじゃないのか?
自分が犯罪者であることを隠して、狂気にも似た想いを新一に持って、新一に近づいた。
無理やり奪ってしまおうか。
そう思ったこともある。
でも、それでは何も変わらない。新一を傷つけるだけだ。
それなら…――
「黒羽?」
ぼんやりとしていたのを悟ったのか、新一が顔を覗き込んでいた。
「え…?」
「どうしたんだ?ボーっとして」
「あ、ごめん。なんでもないよ」
そう言って笑えば、新一は訝しげに眉を寄せた。
「まぁ、黒羽が何もないっていうならいいけど…何かあったら言えよ?」
「うん。さんきゅ、工藤」
気付けばもう大学まですぐそこだ。
もっと、新一と話していたかったのに…ぼんやりしていて時間を無駄にした。
「そういえば…ってあれ?」
言いかけていた言葉を切って新一は少し驚いたように何かに気を取られた。
「工藤…?」
新一が見ている方…大学の門の辺りに目をやると見知った顔がこちらを見ていた。
「「白馬…?」」
思わず重なった声に顔を見合わせた。
「工藤知り合い…だよな、同じ探偵だし」
「黒羽は…確か同じ学校だったよな?」
「知ってんの?」
「前白馬と話した時に…ちょとな」
話題に出たのか。
嫌な予感。
「工藤くん…と黒羽くん?」
あからさまに訝しげな目で快斗を見る白馬に快斗は嫌そうに顔を顰めた。
「なんだよ。俺が自分の学校来ちゃダメなのかよ?」
「いえ、そういうことではなくて…」
そういってチラッと新一の方に目をやる。
「…それで、白馬はこの学校に何か用なのか?」
「えぇ、工藤くんに…」
「俺?」
きょとんと顔を傾げる新一に白馬は一枚の紙を渡した。
「これは?」
「怪盗キッドからの予告状のコピーです。以前お話していたように、本物とは比べ物にならないほどの腕…の偽物ですが」
「確か、まだ捕まっていないそうですね?」
「えぇ…」
白馬は少し悔しそうに俯いた。
「捕らえたと報告があったあと、僕は現場を立ち去ったのですが、どうもその報告に誤りがあったようで…本物のキッドに劣る腕だと見くびっていた僕にも責任はあります」
…捕らえた、と思っていたのか。
まぁ、俺も「キッド」の名を騙るのならもう少し腕を上げればいいのに、と思ってはいたが。
新一は何も言わず、黙って手渡された紙を見ていた。
「今度の現場には是非工藤君も参加していただいて…」
「わりぃが、俺はパス」
急に声色と口調が変わった新一に白馬は目を丸くした。
「え?」
ふぅ…とため息を吐いて新一は紙を白馬に渡した。
「俺は現場には行かない」
「何故…?」
「興味ねぇし」
「…本物のキッドの正体にも?」
ちらりと白馬の視線が快斗に寄せられる。
「何が言いたい?」
「以前はお話の途中でしたね、僕は、彼が本物の怪盗キッドだと疑っています」
そう言って白馬は快斗を指差した。
「だから、俺はキッドじゃねぇって何度も言ってるだろ?」
「しかし…」
「証拠は?」
「え?」
新一の冷静な声が白馬の言葉を遮った。
「黒羽が、キッドだっていう証拠は?ないのか?」
「か、彼のIQや髪、特技などから…」
「IQの高さはあまり当てにならないんじゃないのか?確かに、IQ400はありえない数字だが、正確な数字でもない。それに、髪は中森警部についたものを採取したらしいな?隣人で、しかも交流があるのなら髪がついてもおかしくはない。特技なんて証拠にすらならない」
「それは…」
「確証もないのに糾弾すれば、冤罪のもとになる」
そんなことしてると、訴えられるぞ?
と最後に新一は笑って言った。
「用がそれだけなら、俺はもう行くけど」
わざわざ持ってきてくれてさんきゅ。
そう言って驚いて声の出ない白馬の横を通り過ぎて行った。
「……じゃあな」
快斗も慌てて新一を追いかけて行った。
最後にチラッと白馬を振り返ると、呆然と立ち尽くしたままだった。
「工藤!」
呼び止めると、新一は申し訳なさそうな顔をした。
「あ、黒羽…わり、置いていって…」
「それはいいけど…」
聞いていいのだろうか。
でも…
「でも、お前も大変だったな」
「え?」
「高校の時から言われてたんだろ?」
「あ、あぁ…」
事実だけど…それを言うわけにはいかなかったから…。
「もし…俺が、白馬の言うように本物のキッドだったら?工藤は、どうする?」
「…さっきも言ったけど、黒羽がキッドである証拠はないし、俺はキッドを捕まえようなんて思ってねぇよ」
「…なんで?」
「俺は泥棒には興味ないからな」
そう言って工藤は笑った。
そして、その後少し話してから、俺達はそのまま別れた。
――…俺が本物のキッドだった。
そう言ってしまえば、よかったのだろうか。
でも、新一は「興味がない」と言っていた。それは、コナンだったころにも聞いたことのある台詞。
それに、「捕まえようとは思っていない」とは、どういうことなのだろうか?
もう、キッドの事は忘れた?
何も言わずに、何も告げずに姿を消したキッドには…もう興味がない、ということなのだろうか…?
たとえ、今は違っていても俺がキッドだったという事実は変わらない。
今さら後悔もしない。
目的があったから、パンドラを探すという目的が。親父を殺した組織を潰すという目的が。
新一は知っていた。全てではないけど、キッドには目的がある、ということを。
だからこそ、俺達は互いに利用した。対極の位置にある存在を。
俺達の関係は、新一にとっていい思い出ではないのかもしれない。それでも……――
…なぁ、一体何を考えているんだよ?名探偵。
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